【引用】
「この人間観は、「渡る世間に鬼はなし」ということわざに典型的に示されていると思いますが、だいたい、次のようなものではないかと思われます。すなわち、一種の性善説と言っていいと思いますが、人間とは、本来おとなしくてやさしくて善良である。しかし、それほど強くはなく、一人では生きられないはかなく弱く傷つきやすい存在で、お互いいたわりあい助け合って行くしかない。人間が悪いことをするのは、決して本意ではなく、何かよほどかわいそうな事情、追い詰められた事情があるに違いない。そのために、一時的にどうかして、つい出来心で、あるいは正気を失ってやってしまったのだ。悪いことをした人でも、どこかに善い心は残っており、それを取り戻しさえすれば、真人間に立ち返り、悪いことをしたことを後悔するに違いない。悔い改めた人は責めたりしないで、許してやるのがいい。なかには、たまに根っからの悪人もいないではないが、そういうのは例外で、人非人、人でなし、犬畜生の類であり、つまり、人間ではないのであって、人間の住む世間にいてもらうわけにはゆかない、と」
(日本がアメリカを赦す日p141)

【解説】
この日本人の人間観の問題は、人間観そのものにあるのではなく、言語化されておらず、日本人以外には理解しにくい場合も多々あるにもかかわらず、それを説明不要の普遍的人間観だと固く日本人が信じている点である。

私見
これほど簡潔で核心をついた日本人論を私は他に知らない。どこが核心を突いているかというと、日本人とは、日本人的人間観を持っている人のことをいうからである。世界中どこに行っても在住日本人というものがいるようであるが、上記の人間観を保持していれば日本人と感じられるであろうし、捨ててしまった人はもはや日本人ではない。たいていの在外日本人は、日本人との付合いと、他の人々との付合いとを使い分けるようである。また、外国人で、日本の文化伝統民族性を高く評価する人は、この人間観を愛する人、または、このような人間観の持ち主である。

【蛇足】
上記の人間観の何が悪いの?何が日本人特有なの?と思った人は、海外旅行などには十分気をつけましょう。